『デッドエンドの思い出』 よしもとばなな

よしもとばななの『キッチン』は、出版された当時、単に吉本隆明の娘さんの小説ということへの好奇心だけで手に取ったのだが、読んですぐに彼女の小説の心地よさにひかれ、その後しばらく『TUGUMI』とか『白河夜船』とか『トカゲ』とか『哀しい予感』とか、出るのを待っては読み続けた。どれもこれも気持ちよくひっかかりもなく読めた。
しかし、何が最後だったか忘れたけど、平成になった頃からぷっつり読まなくなった。
読まなくなった理由はわからない。本屋に新しい作品が並んでも手に取ることすらなくなった。


昨日から文庫になった『デッドエンドの思い出』を読んでいる。思えば十五年ぶりくらいの<よしもとばなな>体験だ。
ふと読んでみようか、と思い立ったのだ。
帯にはこうある。

これまで
書いた
自分の
作品の中で、
いちばん好きです。
これが書けたので、
小説家になって
よかったと思いました。


最高傑作、
待望の
文庫化!


最初に収録されている「幽霊の家」を読み始めると、すぐにその心地よさによって話に引き込まれる。いくつになっても体の中に残っている女の子の部分の願望がくすぐられ、満たされていく。
登場人物によってオムライスやポークカレーが端正に作られ、食後にはおいしいロールケーキを食べ、そして、育ちのよさを隠しきれない男性はきちんと自分の欲望について語り、女性の賛同を得て、二人は幸せな結ばれ方をする。
それが有り得なくても、リアリティがなくても全くかまわない。そういうものを読みたくて読んでいるのだから。
しかし、よしもとばななは変わってないな、と安心して読んでいると、最後にきて、ふと人生訓のようなものを読まされる。

次の「おかあさーん!」も、大量に風邪薬を混ぜられたカレーライスを社食で食べさせられ、調子を崩していく女性の話で、展開が気になって先へ先へと読まされるのだが、最後にやっぱり、悟りのような文章を読まされる。

次の作品「あったかくなんかない」は作品全体が布教のようで、そして、その次の「ともちゃんの幸せ」を読むと、もう決定的に、作者が話の最後になにか説教じみた一文を付加しないと物語を締めくくれなくなってることがわかる。

なんだか、がっかりだ。そんなこと書いてもらわなくても物語だけでいいのに。
小説って、そういう説教じみたことを書く代わりに丹念に物語を書くのじゃないだろうか。物語だけでは言い足りなくて、最後に教訓を言葉にして書き添えるなら、最初から物語など必要でない。教訓だけ読ませれば話は早い。


私が感じる違和感は、ここに収録された作品が作者の妊娠中に書かれたものだと知ると少し納得できる。
自分の経験を思い出しても、妊娠期間中には、妙にいろいろなことが見えたりわかったような気がして、今まで悩んできたことの答えがみつかったと思えることがあるのだ。本当に大切なものがわかった気がするといえばいいだろうか。そして、それをみんなに教えてあげたくなる。
もしかするとそんな感情に突き動かされて作者もこの作品群を書いたのかもしれない。


作者が自分で書いた作品の中でいちばん好きだという「デッドエンドの思い出」をこれから読むことにする。

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)