星新一本

SFセミナーに行くまでに、なんとしても読んでおこうと、セミナーの前々日に購入。前日、読了。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

考えてみれば、星新一という作家について知りたいと思ったことがなかった。文庫になっている作品はほとんど読んだ。けれども、それでもうよかった。
太宰や三島の生い立ちを知らず知らず追っかけていたり、ピンチョンの私生活を想像してみようとしたり(そんなことできるはずもないのだが)、ずいぶん後になって斜陽館を訪ねたりしたような、そういう類の興味を星新一に持ったことがなかった。もちろん、星製薬の御曹司であることは知っていた、でも、それと彼の作品になにか関係があると考えたことはなかった。


あちこちで絶賛されているだけあり、この本は一気に読み進めることができるだけの力をもっている、文字通りの労作である。驚くことや知らなかったことがたくさん書いてある。あの時期の日本のSFを巡るエピソードも満載だ。けれども本書を読んだ後も、作者が自ら語っている動機を読んでも、どうして最相葉月さんが星新一について書きたくなったのかよくわからない。最相葉月さんはどうしてSFに興味を持ったのだろう。いや、SFには興味はないのかな。


SFというジャンル小説を読む者にありがちな、データ尊重主義で偏狭で意地悪な読み方をしているのかもしれないとは、重々承知の上で、やはり、この本には何かが足りないと思う。「愛」が足りないというのは簡単だが、私には、それが何に対する愛なのか指摘することはできない。少なくとも、星新一への愛は足りている気がする。

特に後半、作者の考えるシナリオに星新一やSFファンがあてはめられていく部分は、読んでいてざらざらとしたものを感じる。

複数の1001編目が、各社の編集者の手にわたるくだりは、各編集者の年齢が明記され、なかなかの迫力をもって読む者の胸にせまる。うまいなと思う。でも、それが、受け取った編集者たちが誰一人として受け取った作品の内容を覚えていないということにつながり、さらには、それをもって、星新一の1001編目が失敗だったとするにいたって、それが真実であったとしても、このルポをこういう結論へ持っていきたい、という意思があからさまに見えるようで、とまどう。


そして、逆に、この本への誉め言葉が、そういった最相さんの意思をまるで無視して、自分が読みたい部分の資料としての価値ばかりをとりあげていることにも違和感を感じる。