死体を見学するということ by「シジジイ」

先日、「人体の不思議展」にとうとう行ってみた。何年か前のは見逃しているので、今回は必ず行こうと決心していたわりには、なんやかんやで会期終了間際になってしまった。
会場はさながらバーゲン会場の様相。バーゲンのワゴンにむらがるごとく、人体標本に見学者がむらがっている。
標本とはいえ、死体を見るのに押すな押すなの大盛況というのも、ヘンなものではある。

正直いって、ちょっとこの展覧会には抵抗があった。特に医学に携わる者でもないのに、好奇心だけでこういうものを見たがっていいのだろうか、という気持ちがどうしても消えなかった。
しかし、結果から言えば、行ってよかった。すばらしい技術だ。精巧な人体模型を見たこともあるが、やはり、作りものと本物は違う。一番違うのは、人間の身体に対して畏敬の念を持てることだ。

年配のご婦人も意外と多く、みなさん、展示標本にはりつくように熱心に見学している。おばあさん達のその姿に一種の情熱さえ感じた。その光景に何かを喚起されたけど、それを明確にはできなかった。
展示の最後に、脳の標本を手に持って重さを感じたり、男性の表皮も残っている人体標本に触れたりするコーナーがあり、つい何気なく脳を持つ順番待ちの列に並んだのだが、もうすぐ順番が回ってくるってあたりで、急におじけづいてしまった。怖くなったのだ。いまさら逃げるわけにもいかないので手に乗せたけど、なんともいえない気分。
次に、男性の人体標本のそばで迷ったあげく、せっかくだからとそっと腕をなでてみた。

場内は暑くて汗ばむほどだったのだけど、触った瞬間、一方で感謝の念が湧き、その一方で、私の身体は急速冷凍。寒くなる。ところどころ皮がめくってあって、中の筋肉繊維等にも触れられるようになっていたのだけど、どうしても触れることはできなかった。

観展後、故人に対し、身体の中の中まで見せてくださって、ありがとうございました、という非常に謙虚な気持ちになる。献体を申し出た人は勇敢な人たちだ。

この標本って、顔の表情なんかも残っているので、身内の人が見たら、「あっ、おじいちゃんだぁ」ってわかるのかな。案外、後姿でわかったりするかもしれないな。
小さな子供が怖がって、わあわあ泣いていたが、それってとても正直な反応だなぁと苦笑する。
こういう標本になるのもいいかもしれない、と少し思う。

最近、天気が良ければ冬の大六角形がきれいにみえる。シリウスプロキオンポルックス、カペラ、アルデバラン、リゲル。