天衣無縫〜武田百合子〜 byシジジイ

相変わらずの不調。
風邪はものすごく悪くもならないが、治る気配もない。
寝てればいいのだが、こんなときに限って早朝から用事がある。

河出書房新社 文藝別冊「武田百合子 天衣無縫の文章家」を、めくってはあっちを読み、こっちを読みする。
そして、写真を飽く事もなくながめる。
武田泰淳の「貴族の階段」という少々少女趣味な小説に高校生の私は夢中になり、他の作品も次々と読んだ。最後に「森と湖の祭り」を読んで、この作家は長編はだめだな、などと生意気な感想を持ったのだが、武田百合子はこの作家の妻だ。
今回このムックを読んで、二人の出会いのいきさつ、当時のそれぞれの状況、三回にも及ぶ堕胎など初めて知った。

数年前、武田百合子の「富士日記 」を読んだときにはとにかく驚いた。毎日の惣菜のことや、買った日常品の値段、ちょっとした来客のことなどが、書いてあるだけなのに、上、中、下巻をひたすら一気に読み進んだ。途中でやめられなくなったのだ。
文章というのは練習でも修行でもなく、ただ、ただ才能の産物なのだなぁ、と納得させられてしまった。この人の文章のうまさは武田泰淳との生活から得た門前の小僧的なものなどではないのは勿論、意図して習ったものでもない。かわいらしい性格とともに神様が彼女にくれたものだ。(うらやましい。)
彼女の書いたものを読むと、行方不明になっていた己の純真無垢なるものがよびさまされる。

さて、三巻目を読み終わるか終らないうちに、旧い友人から唐突に「富士日記」が郵送されてきた。この友人も百合子の文章に驚かされた一人のようで、読んだ後で送ってくれたものらしい。
二揃いの「富士日記」は私の心をはずませた。こういう「読書の友もしくは師」がいるのはありがたい。しばらくして、友人から送られた本を手元に残し、自分が買った本は別の友人にあげた。


武田泰淳が私達から立ち去ったとき、百合子さんは叫んだ。
「みんなピラニアに食われて死んでしまえ!」
 (武田百合子さんのこと)より 埴谷雄高


女にとって結婚相手こそが幸せになるか不幸になるかの分かれ目であるとよく言われているが、本当は女よりも男の方が配偶者によって人生を左右される度合いが大きいのではないかと思う。