明治賢人研究会

明治賢人研究会にまぜてもらったことが[日常]というカテゴリーに入るのかどうか甚だ疑問だが、さりとて、どんなカテゴリーを作ればいいのか思いつかない。

この研究会をどう説明すればいいのか、これまた難しい問題なのだが、とりあえず、いまのところは内田魯庵の『魯庵の明治』を一段ごとに音読し、主宰者が解説を加えつつ読み進むという読書会のような形式をとっている。
今回は下谷広小路のくだり。特に難しい段ではないので、ゆるゆるとなごやかに会は進んだ。

彰義隊や白虎隊の隊という名称は、当時はモダンな言葉であったという。言われてみればそれより以前は組という言葉が使われている。なるほどなー、と感心する。
そういう高尚な解説を受けながら、隊といえば、脊髄反射的にウルトラ警備隊など思いついてしまうワタクシ。ああ。

上野の山下の附近の町に魯庵が当時持っていた印象が述べられているのだが、それが、いまの私たちの持っている印象とあまり変わってないことにも驚く。古地図と現代の地図を重ね合わせると、なにもかもがアスファルトにぬりこめられ、戦後の建造物に覆われたことがよくわかるのだが、その土地の持つ業というか、記憶はアスファルトごときではぬりこめないものなのだろう。