『デス博士の島その他の物語』刊行記念トークショー

三省堂SFフォーラム
ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』刊行記念
柳下毅一郎さん・山形浩生さんトークショー
「SFに何ができるか――ジーン・ウルフを語る」

日時:3月4日(土) 開場17:30 開演18:00
場所:三省堂書店 神田本店8階特設会場

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

国書刊行会<未来の文学>第二期の一冊目は、またしてもジーン・ウルフだ。第一期というか、このシリーズの記念すべき一冊目が、やはりジーン・ウルフの「ケルベロス第五の首」だった。
私のようなウルフ経験値の低い読者にとって、ジーン・ウルフの作品はわかりづらい。しかし、わからなくとも、ウルフの作った世界の中をじりじりと拘束されたまま移動するような不自由な読書体験は、一度味わうと病みつきになる。読むたびにウルフ経験値があがり、すこし拘束が緩くなるのが自分でわかるのも満足度をさらに高める。


今回のトークショーにおいても、この「ウルフが作った世界」というのが、柳下さんと山形さんの間でまったく違う効果を発揮していることがまず話題になった。
大雑把に要約すると、山形さんは、ウルフの作る世界はあまりにも閉じている気がして悲しくなると主張なさり、柳下さんは、その「作られた世界=物語」に癒しの力があるのだとおっしゃる。

『デス博士の〜』のタッキーは物語によって癒されている。アイランド博士はニコラスに合わせた物語を作り、治癒へと向かわせる。そして、その物語によって癒されている彼らの物語を読んで、読者である「キミ」や「あなた」や「私」は癒されるのだ。

私は柳下さんにいたく共感した。
この本を読み始めてすぐに、同じようなことを感じたばかりだった。「つくられたお話だけが、探している答えを囁いてくれる。もしくは救ってくれる」と。

この話題は相手を論破するといったような性質のものではないので、平行線をたどるしかないのだが、しばらくしてからいかにもかつての同級生っぽい会話でしめくくられたのがチャーミングだった。

柳下「山形は物語には救われないんだろ」
山形「うん。そう」


「ウルフはカソリック小説を書いているけど、あんまりカソリックということに対して特別な構えをしないほうがいいと思う」というのも、信者ではないが、六年間、カトリックの学校に通い、シスターを間近にしていた身としては、そうそう、と相づちをうつ話だった。カトリックがちょっと特殊にとられ過ぎてると思うことが確かにままある。


他には、エピグラフの重要性についての話があり、山形さんの誘導により、柳下さんが次々披露する「知っておいた方がよいネタ」に驚かされた。
例えば、「アイランド博士の死」のエピグラフはジェラード・マンリイ・ホプキンズの詩なのだが、この詩人はイエズス会に入会した人で、イエズス会と言えば、創設者はイグナチオ。そして、イグナチオとともにモンマルトルの丘のふもとで請願をたてた「七人の同志」の中にニコラスという名もあったという。作中の登場人物の名前の由来が解き明かされ、会場はおおっ、とどよめいた。


尚、トークショーの途中、アメリカで自主制作された「アイランド博士の死」の映画の上映があり、これはちょっと忘れられない一本になったかも。イグナシオが現れるだけで会場、笑、笑、笑。