仮想通勤

エムシュウィラーの短編集『すべての終わりの始まり』を開き、一作目の「私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない」を読み始めてすぐに、ふと、こういう本を読みながらなら、通勤するのも悪くないと思う。
ここ数年、家でできる内職のようなバイトをしていて、私には通勤時間というものがない。通勤時間がないので、まとまった読書の時間もとれない。というのはいかにも言い訳じみているが、やはり、ずっと家にいると、どうも思うように読むことができない。(かつて通勤している頃、家にいて思う存分本を読めたらなあ、などと夢想していたことはすっかり忘れている)


週に一度か二度、私は一時間ほどかけて、海辺を走る電車に乗って職場に通う。向こうで三時間ほど仕事をしたら、また一時間本を読みながら帰ってくる。うん、この設定はとてもいいかもしれない。もちろん、行きも帰りも電車は空いていて、座ってゆっくり読めるので、厚くて重い本だって平気だ。少しご都合主義に過ぎる気はするが、いつも文庫ばかり読むのもアレなので許してもらおう。問題は、そういう仕事をどこで見つけるかだ。いや、だいたい、それはどんな仕事なんだ。
うーん、犬に本を読んで聞かせる仕事というのはどうだろう。その犬に本を読んでやらないと、世界が破滅するのだ。いや、それでは責任が重すぎて、仕事の重圧に私が押しつぶされそうだ。もっと軽い仕事がいい。ああ、でも、そういう責任が重い仕事は時給がとってもいいかもしれない。引き受けるべきか、どうするべきか……なんてことを考えているヒマがあったら、『すべての終わりの始まり』を読み進めたほうがいい。


キャロル・エムシュウィラー国書刊行会の《短編小説の快楽》の第2回配本。第1回配本はウィリアム・トレヴァーだった。

すべての終わりの始まり (短篇小説の快楽)

すべての終わりの始まり (短篇小説の快楽)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)