澁澤龍彦 カマクラノ日々@鎌倉文学館

先月、一年ぶりに鎌倉を訪れた。鎌倉文学館は雨の平日だというのに、あいかわらず人の絶えることがない人気スポットだ。

些細なところで、いちいち揺さぶられる展覧会だった。何を見ても、いかに自分の底に澁澤龍彦が敷き詰められているかを再確認するばかりだ。例えば、私が山中峯太郎を読みたいと思ったのは、澁澤が子どもの頃に好きだったとなにかで読んだからだったな、とか、「未定」の本物、初めて見るなとか、そんなこと思いながら見ていると、展示をみているのか、自分を見ているのかわからなくなる。
若い頃から傾倒している文学者というのは、成長するときなにもかも未消化のまま取り込んでしまうものだから、自分と不可分になっている。しまいには、澁澤と自分は似ているなどと畏れ多いことを言い始めるのかもしれない。それにしても、なんと多くのことをこの人に教えてもらっていることだろう。


自筆原稿を見ていると、おかしな気持ちになってくる。この原稿用紙の前に澁澤龍彦が座っていたのだな、と急に澁澤龍彦が存在したリアルな空間が自筆原稿の前にぽっかり出現するような気がする。
澁澤邸を訪問するというまことにうらやましい体験をした友人がいるのだが、聞けば、愛用の机の前に座らせてもらったという。私が自筆原稿の前にみるような幻想空間ではなく、まさに、澁澤龍彦が存在したリアルな空間にすっぽり身を包まれたことになる。そのように稀有で貴重な経験をした友人の身に、一刻も早くその経験がもたらす福音のきたらんことを願うばかりである。


展示の最後に、澁澤龍彦と鎌倉というテーマで、澁澤龍彦の鎌倉散歩コースとか、澁澤龍彦が好んだ鎌倉の景色とか、作品の舞台として描いた場所などが地図や写真で紹介されていた。その中に、和賀江島の航空写真もあった。
澁澤の作品に『ダイダロス』という、一度も海に浮かぶことなく朽ちていく大船の大座所で、実朝がやってくるのをひたすら待ち続けている、繍帳に刺繍された天平美人の物語があるのだが、この大船が打ち捨てられているのが和賀江島あたりなのだ。材木座海岸のはずれのほうで、一度行ってみたいと思いながら、行くことがなかった。和賀江島の写真を見ながら、もう、こうなったら開き直って、鎌倉の澁澤龍彦所縁の地を徹底的に巡礼してみようか、などと考えた。


病気のために声を失ってしまった後の筆談のメモが残っていて、何点か展示されていた。なんと言ってよいのかわからないので、ただ記しておこう。

天ぷらをつくって、それを鍋焼きうどんに入れれば食えるね 
ころもがふにゃふにゃになって
食いたい ごはんなしでもいい 煮て
ショージンアゲはダメかな
月見うどん
子もちカレイの


車 うしろの席がいい
カバンに本入れるの? 本は入れない

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ここしばらく、どこへ行って何を見た、というようなことを書いていなかった。さぼっていたのが半分と、ちょっとそういうことが怖くなっていたのが半分。怖かったというのは大げさかもしれない。面倒になっていたというほうがより正確だろう。

今年になって間もなく、当時ここを読んでくれていた知り合いから夜中にメールをもらった。その人はその日酔っていたのかもしれない。そのメールは少々感情的過ぎた。しかし、それを差し引いても、私にはすっきりとは理解できない内容だった。ただ、文面からその人の感情を逆なでしたことだけはよくわかった。それ以来、問題となった日の記事を何度も読み返しているが、何度読んでも、そこには、どこへ行って何を見たということと、何を食べたということしか書いてない。その記事の何がそんなにその人を動揺させたのか、いまだにわからない。

そんなわけで、どこへ行って何を見た、というようなことを書かなければそういう面倒もなかろうと半年ほど控えてきたが、どうにも不自由だ。その人だって、後で私がブログを書きづらくなるなんてことまで、考えが及んでなかったに違いない。
少しずつ、個人情報垂れ流しの元のスタイルに戻っていこうと思う。