大和ミュージアム

帰省したついでに、呉の「大和ミュージアム」と海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」へ行った。


大和ミュージアム」の10分の1の大和の模型は、大きい、の一言に尽きる。実際に戦艦大和を見た様々な人がその大きさについて驚きの言葉を残しているが、この模型を見てすら、その大きいことに驚かされる。同時に、これが沈んだのだなあ、と思う。その思いは、反戦とか平和への祈念とか、そういうところまで私を運んではくれない。当時の日本の建艦技術の塊のような大和が三千人以上の人々とともに沈んでしまったという事実は、私を思考停止の状態に留め置く。
中学生の私は、誰もが言っていたことではあるが、大和や武蔵のような大型戦艦ではなく、空母を造ればよかったのに、と思っていた。もちろん、空母を造っていれば勝てたのに、と考えるほど単純ではなかったし、ある意味、熱心に戦争の記録を読み漁っていた当時の私の方が、子どもなりに戦争について思うことがあったのだろうが、それでも、中学生の私に「そういうことじゃないのよ」と教えてやりたくなることがある。大和を造ったから大和が沈んだ。空母を作れば空母が沈んだ。アメリカの戦艦もドイツの潜水艦も、沈んだ。そういうことだ。
    


話は少しはずれるが、どうして中学生である自分が、あんなに熱心に戦争についての本を読んでいたのだろうと、ずっと不思議に思ってきた。なにかきっかけがあったはずだが、思い出せないのだ。最近になって、ちょっとその理由に思い至った。
今はどうかしらないが、私が小学生だった頃、広島ではシャワーのように平和教育を浴びるのが普通だった。不謹慎であるが、もううんざりだ、と思うほどに平和教育が行われた。広島の平和教育というのは、当然だが、「ヒロシマ」について学ぶことで、私の通っていた小学校では、当時盛んに行われていた研究授業用の国語のサブテキストがすべて原爆文学だったほどだ。戦争といえば原爆だった。その図式の中では、「ヒロシマ」は圧倒的な被害者だった。
中学生の私は「ヒロシマ」ではない戦争を知りたかったのではないかと思う。ヒロシマ平和教育への反発のようなものだったのかもしれない。おそらくそんなきっかけで読み始めたのだろうが、もともとの性格やら嗜好やらが災いして、平和教育を遠くはなれ、帝国陸軍の作戦についていちいち検討してみる女子中学生、というような珍妙なものになってしまった。そこへもって、『宇宙戦艦ヤマト』ブームがやってきて、熱狂した私はますますもうなにがなにやらである。
ちなみに、「大和ミュージアム」の3階には、宇宙戦艦ヤマトの模型もある。いかがなものか、と思いつつも松本零士の作品案内などと合わせてついつい見てしまった。


ミュージアムの出口近くにあった書籍売り場で気がついたのだが、吉田満の『戦艦大和ノ最期』は今は講談社文芸文庫で読むことができる。もし、太平洋戦争についての本を一冊だけ選べといわれたなら、この本を選ぶだろう、と思う。

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)