SPACE BATTLESHIP ヤマト

行こうかな、どうしようかな、やっぱり行こうかな、でもな、なんて、行くような行かないようなこと言いながら、やっぱり観に行ってしまいました。エヘエヘ。


観に行ってよかったです。
充分、楽しみました。


突っ込みどころ満載映画と言われてますが、元々、私が中学生の時に毎週欠かさず見たTV版『宇宙戦艦 ヤマト』だって、ご都合主義のてんこもりみたいな話で、でも、素直な中学生だった私はツッコミ入れるなんて思いつきもせず、とにかく夢中になって見て、ヤマトがあったから、ガンダムも、エヴァも、パトレイバーも、攻殻も、ずっと順調に見続けるような大人になれたわけです。


最近の劇場版のヱヴァとか、攻殻機動隊2.0 とか見てる目でみると、いやそんな大作を出すまでもなく、ケロロと比べたって、ヤマトはなにもかもダサい。
今回、なぜ、観に行くのためらったかというと、そのダサい話を中途半端に技術力で洗練して、かっこいい絵面にしてあったらやだな、と思ったから。
しかし、そのへん、きっとわかっていたんでしょうね、作った人は。
昭和のヤマトが、きっちり再現されていた。監督に山崎貴を起用したのって、このためだったのかと、思わず感心。
艦橋でラブストーリーとかって、平成の今では、リアリティ追求しちゃうからありえないわけでしょ。でも、古代と雪はやっぱり、艦橋で寄り添ってしまうわけです。
でも、それでいいの、ヤマトだから。
ツッコミ入れられることなんかヤマトは元から恐れていないのだ!


さて、昭和のヤマトと平成のヤマト、いちばん違っていたのはどこかというと、もちろんガミラス星のみなさんがミドリの顔でなかったことも大きな驚きではありましたが、史実の「戦艦大和」に平成ヤマトがその存在を重ねていたことではないかなと思います。
昭和のヤマトは、確かに存在するとわかっているコスモクリーナーを手に入れるためにイスカンダルへ向かいます。作戦失敗はあるかもしれないけど、作戦が成功すれば人類は確実に助かるわけです。
しかし、平成ヤマトはそうではありません。確信を持たないまま、人類の希望のために発進します。人類が絶望の中で死んでいかなくてもいいように、一縷の望みを持つために出撃するのです。
かつて、大和があのような出撃をしたように。


「大和」を「ヤマト」にかぶせているというのは、衝撃でした。
かぶってるの当たり前だろ、戦艦大和宇宙戦艦ヤマトにしてるのだから、と言われそうですが、TV版のヤマトでは、「戦艦大和」の史実を思い出すことはあまりなかったように思います。
TV版のヤマトが始まった頃、もちろん、戦争はもう遠い話ではあったけど、でも、戦争はいまよりずっと身近でした。兵隊さんだったおじさんたちが、そここで現役で元気にしていた頃です。
あの頃には、ヤマトに暗い影をつけることは、まだ悲しすぎ、しのびなかったような気がします。
「ヤマト」はひたすら、人類の希望と未来へ向かって飛ぶしかなかったし、だからこそ、平和教育をシャワーのように浴びた世代の私も、安心して夢中になれたのです。
「大和」に寄った「ヤマト」……それが実現したのは、たかがアニメの話だけど、やっぱり、1945年、1974年、2010年という歳月が過ぎていったからだろうな、と思ったのです。


最後に、疑問をひとつ。
誰か知っていたら教えてください。
ヤマトの乗組員たちは、全員、例の胸に手を当てるヤマト式敬礼をします。キムタクはなかなかかっこよくこの敬礼をしていました。
ただ、古代守と沖田艦長だけは、いわゆる昔ながらの敬礼をそれぞれ映画の中で一回ずつします。
これって、どうして二種類の敬礼が存在するんでしょう。もしかして、沖田艦長や古代守の世代と、それ以下の世代の間に、なにか敬礼が変わるような断絶があるのでしたっけ。
あ、もしかすると、加藤の最後の敬礼も昔式だったかな。
アニメでも、たしか混在してたような気がするんだけど、もう、記憶があやふや。


しかしなあ、やっぱり、ひとつだけツッコミ入れとこうかな。
やっぱ、艦長代理がワープ中にあんなことしちゃ、いけないんじゃないかなあ(笑)