子供みたいなこと byシジジイ

日記をサボってる間に、ぎっくり腰はすっかり伸びた。軽い腰痛が残っているのはもう年だからね、仕方ないさ、そんなこともありますわ、ととりあえずあきらめておこう。

「脆弱な肉体に強靭な精神」というのがキャッチフレーズの私なのだが、ここのところあまりに腰だけでなく肉体が弱っていたので、さすがの強靭な精神のほうも、「なんでわしばっかりがんばらにゃあいけんのんか」、と精神が形成された地における言語で文句を言い始めていた。
「かばちたれるな」とばかりも言ってられず、つい少し精神にも甘えを許したのだが、間違いだった。わけのわからないことしゃべりちらかしながらワイン一本空ける前に意識なくすような失態。今後は精神にはこっぱみじんに砕け散るまでがんばってもらおうと心に誓う。


昨日、忘れ果てていた古い記憶がなんのきっかけか、突然蘇った。
私はまだ十九歳だった。自分ではもう十九歳だと思っていたけどね。
その人をなんと説明すればいいのだろう。血のつながりもないほど遠い親戚だけど、私の母とその人の長兄が同い年で若い頃から気が合い仲がよかったので、弟であるその人にも何年かに一度は会うような間柄だった。

私が大学に入って一人暮らしを始めたとき、その人は東京をいろいろ案内してくれた。寄席や歌声喫茶なんてのにも連れて行ってくれたし、なにしろ底なしに飲む人だったので、ずいぶん鍛えられた。「男に酒つがせることはあっても、自分はつぐな」とか「少しぐらいの酒で酔いつぶれたりする女になるな」って叱られながら、何度も酔いつぶれて自分の酒量を知っていった。
彼は高校生の時から民青で、大学では委員長でラグビーの選手で、60年安保の時にはなにか伝説があったみたいだけど、その話は聞きたがってもあんまり話してはくれなかった。公務員なのに長髪で冬はスキー、夏は登山、いつも真っ黒に日焼けしていてハイテンションで、長身とあいまって年齢不詳国籍不明とでもいいたいような印象だった。

その日も夕方銀座で待ち合わせして夕飯ご馳走になっていた。もちろん、ビールやワイン飲みながら。でも、いつもなら青天井にあがっていくテンションが、上がりかけては失速した。飲み方がいつもと違うのが私にもわかった。ピッチが早すぎる。
「おじさん、悪酔いするよ」
と口に出して気がついた。そんなことおじさんはわかってるに決まってるじゃないか。悪酔いしたいんだ。いつもお酒は楽しくないといけないよ、って言ってるけど、どうしてもそうできない日だってあるんだ。こんな陽気な人にもそんな日があるんだ。

お店を出て歩きながら、その人は泣いていた、ように見えた。夜だったからよくわからない。突然抱きしめられてあたふたしていると、
「ぼくの最後の青春だ」
といわれて、子供にするように脇に手をいれて高い高いをされてしまった。銀座で。
「なに、子供みたいなこといってるんですか、恥ずかしいなぁ」
というのが言葉どおり、十九歳の私の感想だった。

大人も時々子供みたいなことを言う。時々じゃなくてしょっちゅう言ってるかもしれない。いまとなってはあたりまえ過ぎてその時の、「大人がこんなこと言うなんて!」という驚きのほうがよくわからなくなっている。
私は当時のその人の年齢をもうとっくに追い越した。
もっとあの時わかってあげられたらよかったのにね、と心から思う。その人が泣くなんてよほどのことがあったにちがいないのだから。

その人とはいまでもたまに親戚のお葬式なんかで会う。相変わらず年齢不詳国籍不明、テンション高くてヘンなこと言うのでお葬式なのに笑いそうになって困る。