わかる人にだけ byシジジイ

四日の日記に「ラストタンゴ・イン・パリ」について書いたら、Nやんからメールがきた。
Nやんは博学の紳士。しかも、よくある広く浅くではなく、ところどころがものすごく深い人で、私など何度その深みにずぶずぶとはまってしまっていることか。

彼からのメールで長年のある論争に(論争が今日まで継続していると認識しているのはもはやこの世に私一人だろうが)決着がついた。
彼はこの映画をアメリカ留学中に無修正で観たというのだ。
勿論、私は日本でモヤモヤだらけの画面で観た。

あの映画でバターは一体なんのために使用されていたのか?
大学の先輩二人とこの話題で論争になった。いいたいことは山ほどあったのだが、まだ、若い娘が「セックス」という言葉を口にするにはかなりの気負いが必要な時代で(AとかBとかCなんて言葉が現役だった時代だ)、えらそうに女の身体をわかってるような口調でしゃべる男の先輩が実はなんにも知らないんじゃないか?と思っても、充分な反論ができぬまま、歯がゆい思いをした。(今ならあの失礼な先輩達を叩きのめしてやれるのに)
それで結局無知な先輩二人によって、あのバターは通常のセックスをより気持ちよくするために使われた、ということになり、それならもっと適当なものが他にあるだろうとか、あの映画の監督もたいしたことないな、ということになったのだが、それって、絶対おかしいよ。それじゃあ、あんまり衝撃がない。タブーがない。必然性がない。
そしてなによりも、そんなことで気持ちよくなるとも思えない。
あのバターはそんなことのために使われたはずじゃない〜、と言っても、それじゃあなんのために使ったんだよ、といわれて、どーしても恥ずかしくて言えなかった。確信もなかったしね。

Nやん、どうもありがとう。教えてくれて。
彼のメールにはこう書いてあった。
「あれって、アナルセックスだったんですよ」
いまじゃ、衝撃でも、タブーでも、なんでもないのかもしれないなぁ。
「恋愛にとっても、小説にとっても、映画にとっても難儀な時代だ」