ドリアンとの再会 byシジジイ

いまが、タイではドリアンの旬だ。

30歳を過ぎてちょっとした頃、ものすごく大胆な水着を会社の上司からプレゼントされた。
こう書くと、なにかうさんくさいセクハラめいた感じがするが、実際にはそういうことではなく、彼の善意と感謝の気持ちと卓越した美意識がなぜか大胆な水着へと姿をかえたのだ。
ちなみに、その上司は私がそれを着た姿を見ることはなかったし、勿論、ちょっとそこで着てみろよ、なんて言われたりもしなかった。

その蛍光オレンジとグリーンのわき腹と、お尻だか足だか判別つきがたいあたりが丸見えになる水着を持って、いつもより長い夏休みをもらった私は船に乗って小笠原へ行った。
ボンベを背負って潜るなんてエレガントではないと決めつけているので、この時も長年愛用の安物のシュノーケルと小さなフィンだけを持っていった。

すばらしい海だった。眺めてよし、泳いでよし、潜ってよし。自分の足元をたくさんの孵ったばかりの海亀がパタパタと砂浜を海へ向かって急ぐ姿は今思い出しても胸がたかなる。

ある朝、思い立って小さな植物園に行ってみた。小さなかわいいとっくりヤシや、ハイビスカスの咲く園内を歩いていたら、突然上から何かが落ちてきてぐしゃっと潰れた。途端に経験したことのない匂いが広がる。
「ああ、これがドリアンだわ」
話にだけは聞いたことがあった。土に汚れていないところを掬って食べてみるとおいしいような気がした。

このまたとないチャンスにもっと食べればよかったのに、なんとなく一口でその場を立ち去ってしまった。
その後、あの時の味が確かめたくて何度かレストランでドリアンを食べたが、どれも冷凍で熟れてなく、独特の匂いだけはかろうじて残っていたが食べるのが苦痛なほどまずかった。
生のよく熟れたドリアンが食べたい、それはもうなんか念願みたいになっていた。


プーケットの屋台で60円分のドリアンを買った。ホテルにはドリアン持込禁止の立て札があったので、その場で食べる。
そう、この味だった。ねっとりとしていて甘い、グジュグジュと指にからみついた果肉をなめる。南国にいるのを実感する。

19年前にタイで私はマンゴーのとりこになった。こんなおいしい果物があったのか、とおどろいた。最近は日本でもほんとうにおいしいマンゴーが食べられるようになった。
そして、今回、生のよく熟れたドリアンのとりこになりかけてる。でもこれは次のチャンスがいつだかわからないから、うっかり宣言できない。

帰国直前、バンコクでは120円分のドリアンを食べた。お腹いっぱいになった。