灰色の瞳 佐川光晴著 byシジジイ

「波瀾の恋の運命と、戦後思想史をめぐる謀略」
 〜注目の新鋭が挑む、本格ロマンの復権!〜
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灰色の瞳 佐川光晴 講談社の帯のうたい文句である。
学問も愛もきれいな気持ちで取り組まないとだめなんだ、というお話です。それを本格ロマンとよぶのかもしれない。

最近、いわゆる文学作品を読むたびに、よくわからないと思う。きょとんとしてしまうのだ。駄作を読んだのか、自分がだめになっているのか、それすらわからなくなっている。
あんまりおもしろくなかった、といってすませばいいのか。
なにか読み落としているのか。感性が鈍っているのか。

純文学はもう終わりなのか?
文学なんてみんなで楽しいエンターティメントを読んで、売れれば映画化して、あのシーンこわかったよなぁ、っていう単純な感想を共有すればそれでいいのだろうか。(それはそれでいいのだが、それだけでいいのか)

読書量が減っているので勘が鈍っているだけかもしれない。
あたりはずれはもう考えない。はずれっぱなしでもいい。
この夏、私は純文学に耽溺すると決めた。懐古趣味にも走らない。自然科学にも逃げない。(SFはちょっとは読むかもしれないが)
なにをそんなに力んでるんだ、とも思うのだけど、でも、いやなんだよぉ、今の純文の状況がすごくいやなんだ。

中学生の頃、いまとは違った意味で「おもしろい本がないなぁ」とぼやくと父がいつも言っていた。
「読みたい本がないのなら、自分で書けばいいだろう」
あなたはほんとうにいじわるだ。