故郷の風景〜宮本常一〜 byシジジイ

宮本常一の写真に読む「失われた昭和」 佐野真一 平凡社(Amazon)
この本をなにか目的があって買ったわけではない。ただ好きなのだ、写真を見るのが。幕末の写真など、何度でも同じ写真を機会がある度見てしまう。

昭和35年くらいから45年、西暦でいえば1960〜1970年前後の写真を見ていると、なんともいえぬ郷愁と、同時に、既にその時代に生を受けていたのにもかかわらず、なんだかもっと昔の、例えば戦後すぐの記録写真をみているような隔絶を感じて飽きるということがない。高度経済成長前夜から大阪万博までのあの頃。私が本物の子供だったあの頃。
そして、それは宮本が一本のフィルムで72カット撮れるハーフサイズのオリンパスペンSを購入して本格的な撮影活動をはじめた時期と重なる。撮影活動といっても、どれもスナップ写真だ。

宮本常一の故郷、周防大島は私の生まれ育った家からは、間に県境があるとはいえ、車で走ればそう遠くはなく、幼い頃から釣りに、海水浴に何度も訪れている。大学生の頃、帰省時に友人と釣りに行き、不注意からバッテリーがあがって生まれて初めて車の押しがけをしたのもこの島でのことだ。

宮本は全国の村々、島々を撮っているので、当然この本にも、同じページに福岡と広島と佐渡と鹿児島の風景を撮影した写真が同居している。
ぱらぱらとページをめくっては写真だけを眺めていて、あることに気がついた。全国の村や海辺の写真の中から、私は、宮本常一の故郷近辺(ということは私の故郷の近辺でもあるのだが)の写真を、見分けることができるのだ。
例えば、昭和38年の掛川と下北の町並みを私は見分けることはできないが、同じページにある広島県の豊田郡だけは、なぜか見分けることができるのだ。

72、73ページに草葺の家の写真が四枚載っている。
それぞれに、昭和37年の長野、39年の長崎県青島、39年の広島の芸備線沿線、山梨県上野原の農家だ。
こうやって並べると広島の写真だけが強烈になつかしい。四枚の写真を見比べる。屋根の形とか障子の形とか壁と屋根の比率とかそんなものがちょっとづつ違うのがわかる。そういう違いが総合されて、私の身の奥底に染み付いた記憶を広島の草葺の家だけが刺激するのだろう。
同じことは、116、117ページの海辺の屋根にも言える。東京都新島や石川県輪島の屋
根には珍しさはあってもなつかしさはない。しかし、山口の屋根をみるとつぶやいてしまう。
「あった、あった、こんな屋根があった」

昭和43年の広島市中区紙屋町の写真。私はこの写真そのものの風景を覚えている。
覚えているけど忘れていた。そして、この写真を見なければもう死ぬまで思い出すことはなかっただろう。
記憶と記録の驚くような邂逅だ。
宮本の言葉が響く。
<フラッシュもたかず、三脚もつかわず、自分で現像するのでもなく、いわゆる写真をとるたのしみというようなものも持っていない。忘れてはいけないものをとっただけである>

いまやすっかり有名になった直島の写真もある。美術手帳9月号の特集を見た後だけにいろいろ思う。やはり一度は行ってみよう。
しかし、まずは、今度帰省したら、大島の「周防大島文化交流センター」を訪ねてみよう。この今年の五月にオープンした施設のなかに、宮本が七十三年の生涯に残した十万点あまりの写真が一枚残らず収められているそうだ。