ブラバン

ブラバン

ブラバン

「この本はおもしろいけえ、みんなも読んでみんさい」と、私のデフォルト言語である広島弁で薦めたくなるような本だ。

とある高校のブラバンを舞台に繰り広げられるこの四半世紀にわたる愉快でほろ苦い青春群像劇は、会話部分が全て正統な広島弁で書かれている。これって他言語の人に正確に意味が伝わるかな、と読んでいて心配になるほど作者は妥協せぬ広島弁を登場人物にしゃべらせる。おかげで、読んでいる間中、会話文は文字として私の頭の中に入らず、独特のイントネーションを持った音声として脳内で再生され続けた。こういう読書体験は当然だけど滅多になく、しかも一冊丸ごととなると初めてだろう。なかなか楽しい体験だった。

今までの津原泰水の作品とはかけはなれた作品ではあるが、津原ファンが読めば、巧みに描かれる三十人を越える登場人物たちのふとした影のなかに、この作者の秀作『水牛群』を思い出すような瞬間があるかもしれない。


広島弁といえば、ブラバンを読んでいくらもしないうちに、渡辺和博の死を知った。このマンガ家を『金魂巻』で覚えている人も多いだろうが、私はこの人の初期の広島弁マンガが好きだった。
今は広島空港といえば山の中だが、まだ海のそばにあった頃の牧歌的な空港が描かれていたり、車をぶいぶい走らせるガラの良いとはいえない若者が「おおごと」になったり、当時すでに上京していた私は、そんな郷里が空気毎描いてあるような短いマンガが好きだった。でも、当時のそれはノスタルジーではなく、たまたまつけたテレビに郷里のよく知っている場所が映っているのを見るような、そんな感じだった。

当時に比べると、最近は年をとったせいだろうか、郷里を同じくする者(物)に妙に弱くなった。