百輭、十六歳

恋日記 (中公文庫)

恋日記 (中公文庫)

明治三十八年九月十九日、数え年十七歳の百輭は日記をつけはじめた。後に夫人として迎える、親友堀野の妹清子への、恋心を綴った恋日記の始まりである。
「清さんに写真掛けを毛糸を以て拵へて貰らへり。これ又時々取り出でゝキツスする也」とか「その手を握り其頬にキツスせんかと思ひしかと、さすがになさず後間もなく英学会に行けり」なんて告白が初日から記されていて、えー、これを読ませてもらっていいの? ととまどいさえ覚える。

十六歳の百輭がどれほど清さんを好きだったか、本当のところは誰にもわからない。けれども、「かくて昨日より清さんに関するうれしき事、腹の立つ事、悲しき事、等総て細大もらさず記さんとす」と決めた百輭は、まさにその通りの日記を残している。『恋日記』を読んで、そのことにたいへん驚いた。百輭は最初から百輭だったのだなあ、と感心する。


百輭は後に、妻子と別居して芸者のおこいさんと住むようになるのだが、ここらあたりのことを家族がどう見ていたかが、巻末の、伊藤美野さんの、生涯一度のいわば娘としての証言「父・内田百輭」によって解き明かされる。妻清子とおこいさんの、百輭にもの書かせるための努力は尋常ではない。
父が女性と住んでいることを知った娘が、母に離婚するよう責めたときにも、母である清子は「そんな騒ぎを起こしたら、弱虫なんだから、お父さんはもうそれっきり物が書けなくなってしまう、そんなことはしたくない、私はこれでいいんだ」と言ったという。そして、それを聞いて、何てまあ封建的な、卑屈な、情無いと思った娘も、後年、「わかっていても、自分のゆき方を変えるなんてことは、父には出来ませんでしょう。父が家族の為に自分をまげることの出来るマイホーム・パパだったら、父の文学は生れなかったんじゃないかと、私、思いますの」と語ってみせる。
多少、知ってはいるつもりだったが、百輭と暮らすということは、ここまでたいへんなことだったのだなあ、と胸が痛い。


時代も価値観も男女の力関係も、なにもかもが違う中での百輭の話を現代にそのまま移して考えるのは無理なのだけど、でも、文学者にしても研究者にしても、大事にされないと花開かない才能というものがあって、それは今も昔もかわらないのかもしれない。
そして、何より大切なのは、己の才能を守り通すことなのだろう。言うまでもないが、才能のない者がそんなことをしても、迷惑なだけだ。


……あー、なんか、むちゃくちゃいろんなことを次から次から考えてしまって、収拾がつかない。