しらせ

昨日、南極観測船「しらせ」が晴海ふ頭から最後の南極への航海に出た。船体や観測機器の老朽化のため今航海を終えたら退役するそうだ。昼間、そのニュースを見ようとあちこちチャンネルを回したが、どこも泰葉の離婚話ばかりで、出航の様子を見ることはできなかった。(おかげで泰葉の離婚話にむやみと詳しくなってしまった)


失笑をかうのを承知で言えば、「しらせ」は私にとってはいつまでたっても期待の新型南極観測船だ。古いのは「宗谷」。ものごころついて以来の現役南極観測船は「ふじ」だ。


「ふじ」の後継船の名が一般公募で「しらせ」に決まった時のことを思い出す。大学の友人がつまらなさそうに、「しらせ」になっちゃったよ、と教えてくれた。「しらせ」が悪いというわけじゃないのだが、海洋に関係ある学部に籍を置く当時の私たちは、もっと新しいイメージの名前にしてほしいとどこかで願っていたのかもしれない。自衛艦には名前の付け方の決まりがあるから、その制約の中での命名はいたしかたないが、それにしても「しらせ」は古臭い気がしたものだ。
それに、いくら白瀬氷河からとった「しらせ」とはいえ、白瀬中尉の「しらせ」であることは間違いなく、白瀬中尉の悲運を思うと、それを艦名にしてもいいのかなあ、という素朴な思いもあった。自分が乗る船には、景気のいい名前がついていて欲しいと誰しも思うのじゃないだろうか。だからって次候補の「やまと」がいいとも思えなかったが。


ところで、2009年竣工予定の「しらせ」の後継船の名も「しらせ」に決まったそうだ。以前のようにあれこれ思うでもなく、そうか、「しらせ」かと思うだけだ。日本の砕氷艦にはもうずっと「しらせ」とつけてもいいような気さえしてきている。


そういえば、私が小学生の頃、道徳の教科書には「宗谷」が氷に閉じ込められて動けなくなっている時に、ソ連砕氷艦が助けてくれた話が載っていた。当時はソ連は恐い国だったので、その話は私にちょっとした感動を与えた。もしかすると、その後、私がずっと持ち続ける海や船への憧れの第一歩だったかもしれない。ただ、「宗谷」の乗員たちが、助けてくれたソ連艦に向かって何度も「サンキューベリーマッチ」と叫んだという記述には、ソ連の人が助けてくれたのに、それはちょっといけないのじゃないか、と首をかしげた。


そうだ、そうだ、船の話をしたついでに、この話も書いておこう。先日横須賀で二十年ぶりに戦艦三笠の下まで行ったのだが、翻るZ旗を見上げてどうしても、国際信号旗としてのZ旗の意味を思い出せなかった。同行者に「Z旗って、本来はわりと弱々しい信号旗なんだよ」と言ったものの、それが何だったか思い出せないわ、弱々しいってなんだよ、と笑われるわ、だったのだが、やっと思い出した。「本船は引き船を求む」でした。