屏風のウラ

2月24日の「近衛家の名宝展」の記事に対して、jinjinさんよりコメントをいただき、しばし、考えこんだ。

酒井抱一はずううっと前に出光美術館風神雷神図屏風を見に行きました。
裏に花の春と秋の花の絵が描かれていたと思います。


どこかで、抱一が誰かの屏風の裏に絵を描いたというような話を読んだことがあるが、どうも記憶がはっきりしない。抱一が描いたのは、もしかして光琳の屏風の裏ではなかったろうか、と思うのだが、果たして光琳の屏風の裏に抱一が絵を描くだろうか。自分の記憶に自信がない。
出かける時間が迫っていたので、絵画に詳しい友人にそのままメールで、なにもかも曖昧なまま丸投げ。


しばらくたってから返事が来た。
抱一の有名な「夏秋草図」は、元々は光琳の「風神雷神図」の裏屏風として描かれたものであったとのこと。保存上の問題から、今は、別々の屏風になっているらしい。
やっぱり、抱一は光琳の屏風の裏に描いていたんだ。
と、疑問が解け、もやもやがすっきりすると同時に新たな疑問が。
抱一は光琳をたいへん尊敬していたわけだが、そのような師と仰ぐ人の作品に、裏とはいえ、自分の絵を描くものだろうか。
自信のなせる技か、それとも、自分こそが光琳の後を継ぐ者であるという抱一の決意表明か。


さて、jinjinさんのコメントに戻るが、出光美術館にいらしたとあるのは、2006年の宗達光琳、抱一の三枚の「風神雷神図」が揃った展覧会のことだろうか。そうすると、jinjinさんがご覧になった、屏風の裏の「春と秋の花の絵」というのは、もちろん「夏秋草図」のことではあるまい。
抱一の「風神雷神図」の裏には、抱一の手による「春と秋の花の絵」があるのだろうか。光琳の「風神雷神図」の裏に「夏秋草図」を描いたように、自分の「風神雷神図」の裏にも草花の絵を描いたのだろうか。
いろいろなことを考えているうちに無性に知りたくなる。
どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたい。