SFセミナー 2008 5月3日

GWの恒例行事となっているSFセミナーに今年も行ってきました。


本会
1コマ目「Speculative Japan 始動!」

出演 荒巻義雄 山野浩一 川又千秋 巽孝之 増田まもる(司会)

「恐るべき後期高齢者になった荒巻です」という自己紹介で始まったこの企画。
昨年のワールドコンでのグラニア・デイヴス、ジーン・ヴァン・トロイヤー共編の日本SF傑作選『Speculative Japan』についてのパネルがきっかけとなって、日本のニューウェーヴSFを再考し、新たなる思弁小説(スペキュレイティヴ・フィクション) を生み出そうという趣旨でサイトが昨年末に立ち上がっており、そのお披露目的な意味合いも含めた企画だったのかもしれない。


私にとって最初からSF作家として認識されているパネリストたちが、実は元々は文学青年たちであるというのは、世代を考えればあたりまえなのだが、やはり、川又千秋の卒論が島尾敏雄だと聞けば、へえー、と驚く。


続いて、荒巻義雄も「私は元々文学青年だったので、SFを書いていても、なにかふっきれず、あるとき、筒井さんと青山を歩いていて、あまりに筒井さんが奇矯な行動をするのをみて、ふっきれたわけです」と語る。この世代にとっては、文学を志す者がSFを書くというのは、なにかをふっきらなくてはできないことだったのだ、ということを久しぶりに思い出す。
さらに続いて「バラードはガストン・パシュラール的観点を持っている」と聞くと、一気に十代の頃に引き戻される。確か、ガストン・パシュラールを読んだ時期と、バラードを初めて読んだ時期は、さほど離れていなかったはずなのだが、そこに同じ観点があるなどとは気づきもしなかった。

そんなこんなで、あまり企画の意図とは関係ないことをあれこれ思っているうちに質問の時間になったのだが、ここでもさらに、笙野頼子筒井康隆は似ているとか、川上弘美ケリー・リンクは近いとか、そういう話になった。
笙野頼子のあの作品のあの場面が、筒井康隆のあの作品のあの場面を喚起させる、といったようなことならあるような気がするのだが、だからといって、この二人の作家が似ているかどうかよくわからないというのが、正直なところだ。


川又千秋が「ラバウル烈風空戦録」は、日本が舞台でもなければ、第二次世界大戦のことを描いたわけでもなく、全くの架空戦記である、と企画の最後のほうで断言したのが、驚きだった。そうなの?


2コマ目はまたいずれ。