コレラの時代の愛

読もう読もうと思いつつ、先延ばしになっているマルケスの『コレラの時代の愛』だが、小説を読むより先に、映画を観ることとなった。


全編、ほら話の連続で、目を離せない。
私にとっては、荒唐無稽な面白い映画だった。
私にとっては、とわざわざことわったのは、実は、映画としてこの映画が良かったのか悪かったのか、今もってわからないからだ。
原作の持つ力が強烈で、映画を観るというよりも、物語に引き込まれてしまった。
強烈といえば、主人公のフロレンティーノを演じたハビエル・バルデムとフロレンティーノの母親役のフェルナンダ・モンテネグロも、とんでもなく強烈だ。


51年間もの間、初恋の女性のことを思い続けた男の話なのだが、純愛の話ではない。
主人公は622人の女性と関係を持ち、それを洩らさず記録することをルーティーンにして、片思いの51年という長い年月をなんとか過ごすような男だし、思われたほうの女性も、若い頃、一度は結婚の約束をしていながら、久しぶりに再開した男を見たとたん、「ゲ、こいつキモい」と思ったとしか解釈できないような心変わりをして(ここらあたりを原作ではどう描いているのだろうか)、さっさと上流階級の医師と結婚してしまう女だ。


そんな二人だが、紆余曲折があって、72歳となった女は、76歳となった男の愛を受け入れる。
それまでの男女のシーンがどれもこれも滑稽に描いてあったのに比し、このシーンは喜びに満ちている。
けれども、彼がこの喜びを手に入れることができたのは、もう、昔のしがない電報配達夫ではなく、船会社の社長だからだとも言える。
そして、この映画で最もぐっとくるのは、映画の最後に、老いた二人が選んだ短い余生の過ごし方だろう。
しかし、それさえも、彼が社長だから、彼女のリクエストに応えることができるわけで、特別な恋を成就させるのは、恋こそが人生の全てだと思える才能と、財力を合わせ持った者にだけ与えられた特権なのかもしれない。
二人を乗せ、二人が生きている限り、黄色い旗を掲げて進む船は美しく感動的だ。


なにかの片手間に成就させた恋など、おもしろくもなんともない。