KORIN展@根津美術館

根津美術館の国宝「燕子花図屏風」と、メトロポリタン美術館の「八橋図屏風」を並べて見ることができるチャンス。
この二つが揃うのは100年ぶりだと出品目録に書いてある。
調べてみたら、大正時代に日本橋三越の展覧会に出展されている。当時は「八橋図屏風」は鳥取藩主であった池田家の所有だったとのこと。
そういえば、阿修羅像が来たときも、この前東京に来たのはどこだろうと調べたら、昭和27年の日本橋三越だったな。


「燕子花図屏風」は光琳が四十代のとき、「八橋図屏風」は五十代になってから描いており、両者には十年ほどの隔たりがある。
両者の違いを、橋が描いてあるかないか、という程度の認識しかしていないと(それは私だ)、並べて見たときに、こんなに違う絵だったのか、と驚く。
表現しているものが、そもそも違う気さえする。
「八橋図屏風」の方が構図としても完成度が高く、燕子花も繊細で締まった印象。全体にはりつめたものを感じる。
「燕子花図屏風」の方は、花がぼてっとした印象である。でも、これはこれで幻の花というか、「幽玄」の花というか、いざなわれる世界がある。
デザインに目を奪われないだけに、業平の見た燕子花はこんな風に見えていたかもしれない、などと思い込める余地がある。


GW中に行ったので、庭では燕子花の花が盛りだった。
光琳の燕子花を見た後では、気の毒だが、この生きているカキツバタに勝ち目はない。本当は生きている花が美しいはずなのに。


大昔、女子高生だった頃、古典の時間に「伊勢物語」のこの八橋のところをやった。「かきつばた」という五文字を頭においた歌
「からごろも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」を聞いて、そこにいた者たちが皆、干飯の上に涙を落とし、干飯がほとびた。というところで、一同で「きたなーい」と叫んだのを思い出す。
なんというか、そういう女子高校生だった、私たちは。すみません。


あ、今気づいた。この展覧会は、昨日までだったのか。
会期 2012年4月21日〜5月20日
百年ぶりの邂逅は、一箇月でおしまいだったんだな。