六月三日

毎回出席していたし、宿題もちゃんと提出しているのだが、しばらく教室のことを書いてなかった。

ここのところ繰り返し、繰り返し、授業のたびに先生がみんなにおっしゃること。

文章というのは、読み手を常に意識して相手に伝わるように。

最近、読み手がわかってくれないことにいらだっている人をたまにみかける。いらだつべき相手は読み手ではなく、わかるように書けない自分だろう。これは私が常に自分に言い聞かせていることである。
先生というのは、私にとっては最高の読み手である。もし、先生が誤読をなさったとしても、それは、先生のような読み手にすら誤読させてしまうようなものを書いてしまったということだ。
そして、逆に言えば、先生が読み取って下さったからといって、他の読者にもそれを要求していいということではない。
いくら自分がちゃんと書いてると言ってみたところで、読んだ多くの人がわからなければやはりそれは、書きようが足りないと思うしかないのだ。




古希を迎えられて。

僕が作家でなかったら、これからもがんばるぞ、と言うけど、僕は作家だから、もう、そこにある「死」という停留所について考えたい。
古希を迎えて、がんばるぞ、とは言わない。

こんなふうに先生の言葉だけを、前後の脈略もなく投げ出すようにここに書くのではなく、なにか自分の思いとともに書きたいと思っていたけど、まとまらないまま、このままでは、忘れてしまいそうなのでここに記しておく。

ネオンとこおろぎ―新宿角筈一丁目一番地

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饗宴 (新潮文庫)

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戦後短篇小説再発見5 生と死の光景 (講談社文芸文庫)

戦後短篇小説再発見5 生と死の光景 (講談社文芸文庫)

先生の短編『夏草の匂い』が収録されています。まだの方は是非。