祝! 出版 『母の禁じ給いし歌』小澤亜都子 慧文社

母の禁じ給いし歌

母の禁じ給いし歌

教室の先進、小澤亜都子氏の初めての著書が先週の土曜日、ついに上梓の運びとなった。
全221ページ、収録作品13作の堂々たる内容である。

収録された作品は過去五年間に著者が書き上げたもののうちから、厳選された13作である。といっても、小説を書いたことのない方にはピンとはこないだろうが、これは大変なことだ。なかなか五年間ではこの量の作品を書くことはできない。
しかも、この13作がどれも実にバラエティに富んだストーリーなのだ。

小説を書き始める時、多くの人は、書きたいことはたくさんある。後はそれを形にするだけだ、と思う。しかし、実際に書き始めてみると思ったほどに書きたいことがたくさん自分の中にないことに気付かされる。そこで、しょうがないので自分の過去の恋の思い出など書いてみるのだが、そんなもの面白いはずもないのだ。

そういう意味では小澤氏は書きたいことが山ほど身体の中にあるようで、いくらでも虚構(フィクション)を紡いでいく力を持った書き手だ。新しい作品を読ませてもらう度、いつも「こんなこと、どこから思いついたんですか?!」と聞きたくなるほどに、多彩な物語が様々なステージ上で繰り広げられる。


そして、その多彩な物語に共通する小澤作品の大きな特徴は、おかしみだ。嫁姑の壮絶な戦いを読んでも、男と女のせつない朝の別れを読んでも、なぜか、クスリと笑ってしまう。
例えば、私の好きな「しまい花火」という作品も、医師と看護婦が互いを思いながら結ばれず、結局は二人で泊まるはずだった旅館の部屋で、女が一人、夏の終わりの花火の音を数えるというせつない恋を描いた作品なのだが、それにもかかわらず、最後のフレーズ『ブランデーのミニボトルを空っぽの腹に注ぎ込んだせいで、一番寂しい夜を、彩子は正体もなく寝入った。』を読むと、なぜかクスッと笑ってしまう。
そうだ、人間は悲しくても切なくても、すきっ腹にアルコールを入れたら正体もなく寝てしまうのだ。
そういう、人間の飾ることの出来ない部分に、ずいずいと踏み込んでいく小澤氏の視線に私は笑ってしまうのだ。

これからも、二冊目、三冊目を目指して、皮肉の効いた悲しくもおかしい話を次々と発表して、私を楽しませていただきたい。