モテる男

生きてます。
そうまずは書かないと話が始まらないくらいここを放置している。
せめて美術館に行った時と映画を観た時くらいメモしておこうと思うのだけどしていない。
フェイスブックは窮屈だし、ツイッターは流れていくし、ここに帰ってこようと思いながら、帰ってこられない。


シン・ゴジラ』と『君の名は。』は観た。
どちらも興奮した。
君の名は。』は、ただの男女入れ替わり終末ものかと思っていたら、そんな話じゃなくて、脚本がよくできているのに驚いて、ただ感心した。
新海誠の以前の作品『言の葉の庭』や『秒速5センチメートル』に比べるとオタク臭とか童貞臭と呼ばれているようなものが抜け、しかし、SF読み慣れているような層のツッコミにも耐える強度が脚本にあった。これがきっと大ヒットの理由だろうなと思った。(そんなことは、ちょっとネットで検索すれば山ほど出て来る感想だろうけど)
加えて『言の葉の庭』のアニメーションの透明感と、独特のアングルが何倍もに洗練されている。


小説は今年に入って大森望さんが主宰のゲンロンカフェの「SF小説創作講座」というのに参加していて、ものすごく苦戦している。
でも、それはわかっていた。なにしろ、子どもの頃から何度もSF小説書いてみようと思ったけど、書けたことがない。それを今になって書こうとしているのだから無理ゲー中の無理ゲー。
梗概6本、実作1本出したけど、一回として誉められていない。
なんかかっこいいもの書きたいとか思っても無理なので、メロドラマ的SF書いてみようかと思ったのはいいけど、時代を越えて出産可能年齢の女性の興味をひく男の特徴ってどんなものだろうと考えて頓挫してしまった。
お金があるとか社会的地位があるとか学歴とかはSF設定的に意味がないので、もっと本質的に女性に好かれる特徴。
見た目はおそらく左右対称性が高いほうがいいだろうけどな。
話としては、人類の遺伝的多様性を求める話になるので、セクシーであることが大事かなあ。


(この日記というかメモは、以前は、どこにいるかわからない読者に向かって書いていたはずだったけど、ここのところは未来の私に向かって話しかけてるようだ。全てを忘れてしまう自分のために残しているようなつもりになっている。
でも、これを老人になって読んだとして、なんの役に立つんだろう。)

阿川弘之が亡くなった。
『春の城』を読み返したいと思い本棚を探したがみつからなかった。
『雲の墓標』と並んでいる背表紙をありありと思い出すのだが、考えてみれば高校生の頃に読んだのだから、実家の本棚の記憶なんだな。


高校の頃、英語の成績があまりに悪いので塾に行くことになった。
アパートの一室に高校生が五人ほど集まって自閉症の女の子について書かれた英語のテキストを読解していくという、今思えば受験勉強に役に立ったのかどうかわからないような高度な授業だった。学校の英語の授業以上についていけなかった。
そこで教えていたのが楠本先生で、どこの大学だったのか英文科の教授ということだった。
私が部活動は文芸班だと知ると楠本先生は、書いたものを持ってきなさいとおっしゃった。部活動で出していた文集『紫苑』をおそるおそる渡した。私は当時富岡多恵子金井美恵子の影響をもろにかぶった詩を書いていた。
大人に詩を見せるのは初めてだった。
楠本先生は、私の書いたものを誉めてくれた初めての大人で、私が何かを書くことを毛嫌いしていた母に向かって、「お嬢さんの詩はとてもいい」と言ってくださったのだけど、もちろん母はそんな言葉には耳を貸さなかった。
楠本先生は時々「活動の足しにしなさい」とか「みんなでお菓子でも食べなさい」といって文芸班にカンパをくださった。そんな大人がいることにもびっくりした。
ある時、楠本先生は「ぼくもね、高校生の頃はいろいろ書いていてね、たまによく書けているとね阿川が拾って載せてくれてたんだよ」とおっしゃった。「阿川は、やはりとびぬけてうまかったよ」
先生の広高時代の思い出だった。
本の中でしか接したことのない旧制高校阿川弘之が、一度に目の前に展開されて、高校生の私はうまく反応できなかった。
幸い、その年の楠本先生の生徒五人は全員志望校へ合格した。
入学のために上京する直前、楠本先生のところに挨拶にいった。
「ずっと君は詩を書くといいよ」と言ってもらったが、その頃もう詩は書けなくなっていた。
「ぼくの論文の序文ができたので読んでください」とホッチキスで綴じた小冊子をくださった。
『呪われた血の叛逆詩人--George Gordon Byron.』
楠本先生がバイロンの研究者であることをそのとき初めて知った。

寒い間にしたことといえば、『フューリー』観たり、岡崎京子展行ったり、『アメリカン・スナイパー』観たり。
他にも展覧会は行っているのだが、じゃあ、なにがよかったかと問われるとよくわからなくなる。
三井記念美術館の「東山御物の美」が印象に残っている。


昨年十月に応募した新潮社のR-18文学賞
前回は二作が一次通過したものの、そこまで。
今回は、二作応募して、一つは一次も通過しなかったが、一次で残った方が、二次通過した。
もう一生、一次通過止まりかとあきらめていたので、二次通過の20作品に残ったのはたいへんうれしかった。
でも、これが私の小説の頂点かもと、早くも思い始めている。
年を取ると、苦しいこともうれしいことも長続きしないものだ。


ラッキーなことも起きた。
イースト・プレスから出ていた『嘘みたいな本当の話』が、三月に文春文庫になった。
内田百輭に似たおじいさんの話が載っている。
自分の書いたものが、短いとはいえ文庫に収録されるというのはびっくりするような幸運だ。
しかし、これまた、神様が最後にくれたプレゼントかななどと思ってしまう。

ダメじゃん、あたし

久しぶりにアンテナであちこち巡回して思った。脳が強い人は、SNS大流行の今もちゃんと長い文章を書いているんだな。そして、そういう人は、SNS上でも、さらりといかしたこと書いてる。
いろいろなものを合わせてみても、総量として、文字を書く量が減っている。
読む量も減っている。


今読んでいるのはこれ。以前は、もったいないのでチビチビ読んでるなんて言ってたが、今はもう、常にチビチビ状態。年寄りの晩酌的読書である。

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

そしてこれ。

霧に橋を架ける (創元海外SF叢書)

霧に橋を架ける (創元海外SF叢書)

気が小さいので、幹事のような立場に置かれると、みんながちゃんと食べてるか、飲んでるか、楽しく会話できてるか、遠慮している人はいないかみたいなことが気になって、自分はあまり食べる気持ちにならないし、注文も自分の好みを通すことができない。お会計のお金が足りないとついつい自分の財布から出しちゃうし。
つくづく幹事のような役割が向いてないなと思うのだが、他人からは好きでやってるみたいに思われることが多い。

泣く女

わりとよく泣く。電車の中から桜を見つけて、その瞬間、なにが脳の中で喚起されるのかよくわからないが泣いたりする。小さな犬がおばあさんと散歩しているのを見て急に泣くこともある。メダカが泳いでいるだけでじんわりすることもある。年を取って涙腺が弱ったのか、くたびれた脳が誤反応しているのかよくわからないけど、誰に迷惑かけるわけでなし、他人の視線が気になることもあるけど、仕方ない。
でも、こういう涙を流すのは、情緒が不安定で、感情をうまくコントロールできていないということなのかもしれない。
嘘泣きするのも、感情をコントロールして涙を抑えるのも、元は同じような能力によるもののような気もする。他人の評価をどうこうしようとする行為でもあるわけだし、どっちが立派ということもないような気がする。
泣くのをこらえれば気丈と讃えられ、わんわん泣くのは幼いと呆れられることが多いが、そんなこと他人の言うことでもない。
泣きたい時に泣いて、面白くない時に面白くない顔をしていたい。


ヘッセの『デミアン』だったかな、友だちの前で堂々と泣く青年が出てくるシーンがあって、中学生の私は、いいな、と思った。